FC2ブログ
プロフィール

kimさん

Author:kimさん
大阪府在住

愛機・・・CANON EOS1V
     CANON EOS5DⅢ
     NIKON F
     ZENZABRONICA SQ 等

このブログに載せている写真
  …EOS5DⅢで撮影
通常メインで使用しているカメラ
  …EOS1V(フィルム一眼)


写真の撮影が趣味で、自分で撮った写真を見てもらえるようにと始めたブログです。

仕事の合間に撮影して、アップしていきます。

もしよかったら、感想なんかを残していってください。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

KIMさんのPHOTOLIFE
趣味で撮った写真を、その撮ったときの様子とともに、皆さんに見て頂くためのブログです。 せっかく来ていただいた皆さまの足跡を残すためにも、是非コメントをお願いします。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フクシマ4
フクシマでの体験・感じたことを綴ってきた今回の報告も、今日で最後にしたいと思います。

感じたこと、思っていること、伝えたいことはもっとあるのですが、ネット上のこの場所では、残念ながらこれ以上お伝えすることができません。

それは、ネット上では無責任な「非難」をする方がいるのです。自分とは違う立場の考えを持つ人に対して、考えられないようなことばを一方的に吐き続ける人のことです。「ヘイトスピーチ」もその質は同じだと思います。そういう人のことばによって、ただでさえ辛い立場の人たちが、余計に辛い思いをしなければいけなくなります。だから、これ以上お伝えしようとすると具体的なことが分かってきてしまうからです。ご理解ください。

さて、前回にも書きましたが先日避難によるストレスで自殺した女性への保障を求めた裁判で、原告の訴えを認めた裁判がありました。この裁判で東京電力が主張していることばを聞いて、耳を疑いました。「自殺したのは個体の脆弱性が原因で原発事故は直接的に関係ない」東京電力は、事故を起こしたことと人々から故郷を奪ったこと、そのことによって絶望して自殺したとしても、それは責任がない、あくまでも死んだやつが悪いと考えているということです。こんな考えの人間たちが原子力発電所を管理し運営していると思うとぞっとします。
自分のやってきたことに責任をとる気もなく、事故を起こさないようにしようとする努力すらしていないのではないかと思ってしまいます。どれだけたくさんの人たちがストレスを抱え明日の見えない生活を送っているのか、本気で考えてもらいたいものです。

被災者の皆さんが、いちばん安心できる方法を真剣に考えてほしい、本当に被災者の声を聞いてほしいと思います。
少なくとも、政府も東電も、経済効率の善し悪しばかりを考えて行動しているようにしか見えません。これ以上苦しめないで、がんばらさないでと思うのです。

(そうそう、余談ではありますが、昨年の24時間テレビで飯舘村の子どもたちに富士山を登山させて「がんばれ!」といっているのを見て何考えているのかと思いました。これまでさんざんがんばらされている子どもたちにこれ以上がんばることを強いてどうするんだと思うのです。他人をがんばらせて感動を押しうる番組は見ていていい気がしません)

0V5A9882.jpg
(これが3年間住んでおられる仮設です。広い家で暮らしてこられた人たちにとってこの家で暮らすことだけで大きなストレスです。隣の家の声もよく聞こえ、自分の家にいてもリラックスできません。ここで、3年暮らし、あと何年暮らさなくてはならないのかも分からない中でどのくらいのストレスがあるのか・・・分からないなりにも考える必要があると思うのです)

0V5A0051_20140831230256661.jpg
(もう一つのボランティアで、仮設の人たちとの交流もしました。皆さん元気に笑っておられますが、それぞれが生活を失った経験をされているわけです。元気を出してくださったらと思って行きましたが、逆に元気をもらってしまいました。そんなことではだめなんですが・・・)

0V5A9980.jpg
(フクシマの台地に、本当の意味での「生活」が戻ってくるまで、自分にできることを考え、続けていきたいと思います。)

4回にわたって、私個人の感じてきたことを好きなように書かせて頂きました。
読まれた方の中には「ちょっと違うんじゃないか」と思われる部分もあったかもしれませんが、
私なりに感じたことをできるだけストレートに伝えたつもりです。
これからも自分にできることは何か、など少しでも皆さんと共に考え続けていけたらいいなと思います。
ありがとうございました。
スポンサーサイト

フクシマ3
きょうは、福島でお世話になった中学校のことを少し書きたいと思います。

原発事故後の避難指示によって、本来の後者から離れた場所で、仮設校舎を使って授業をしておられる学校の校舎の見学とお話を聞かせて頂きました。

この場で詳しく書くことはできませんが、他の学校のグランドに仮設校舎を建てて授業をしています。

本来通学するはずの生徒数よりは随分少ない生徒数です

しかも、その生徒たちの大半はスクールバスに乗っての通学です。中には1時間以上かかるそうです。

特別教室も満足に使えず、実験などの器具もそろっていないそうです。

体育館やグランドは「間借り」状態で、思うように使えません。クラブ活動も遠慮しながら、空いている時間を使っての活動です。

そんな中での毎日を過ごしているそうですが、出会った生徒たちはみんな明るく元気そうでしたが、生徒たちの抱える現実は想像以上に厳しいものでした。

仮設住宅に住み、仮設校舎で学び、周りに気を遣いながらの生活のストレスは想像もできないものなのだと思います。
そして何よりも、福島の抱える現実が、他の地域と違うことがあります。
この学校の先生が話してくださった中にこんなことばがありました。
「前に進まなくてはいけないと思っているんです。でも、その前が見えないのです。どこに向かっていけばいいのか・・・」
自分の家に戻れるのか、移住するのか、自分がどこに根を張って生きていけばいいのか、それすら見えない中で子どもたちはがんばっているのです。

自分が根を張るところが分からないのに、受験という現実は着々と進んでくるのです。

今の中学3年生は5年生の時に被災しています。
今年の春に卒業した生徒たちは、仮設で入学して仮設から卒業したのです。

仮設の学校を見学した後、本来の学校を見に行きました。
とても立派な校舎と広いグランドがありました。本当ならここでのびのびと学校生活を送っているはずが、
気を遣いながらの仮住まい・・・

本当に生徒たち、福島の被災者の皆さんは「がんばって」います。

生きることそのものががんばっているのです。

先日、裁判の判決がありました。当然の原告勝訴でした。
しかし、東電側の主張を聞いて耳を疑いました。「自殺したのは本人の弱さが原因だと・・・」
このことについては、次でも少し触れたいと思います。

IMG_8940.jpg
(仮設校舎です。2階建てで、以前は2つの学校が入っていたそうです。とても、3年以上使える建物ではありません。砂も入ってくるし、雨も入ってくる、隣や上下の音も聞こえてきます)

0V5A9890_20140828224147d15.jpg
(図書室はありません。本当の校舎から本を持って来ることもできません。仮設校舎の廊下に作られた「図書館」です。こんな環境でも、少しでも学習環境を良くしようと先生方やいろんな人が協力し智恵を出し合いながら「がんばって」おられます。ただ、忘れてはいけないのが、先生方の多くも被災者ということです)

0V5A9907.jpg
(こんな施設の中で、生徒たちは精一杯の学校生活を送っています。どんな状況であっても、たった一度きりの13歳であり14歳であり15歳なのです)

0V5A9936.jpg
(本来の校舎はこんな立派な校舎です。ここを見たときに、「ここで学ぶことを夢見ながら仮設で暮らし、卒業していくということの意味を考えさせられました。)

0V5A9946.jpg
(この校舎へ戻ってくるときのために除染作業や復旧工事が進められていましたが、グランドには除染したときにでた放射線を多く含むゴミや土はグランドの片隅に置かれていました。このままではとても生徒たちがこの学校に戻れないと思うのですが・・・)


フクシマ2
今回、福島に行ってから「もう一度震災について勉強してみよう」と思っていろんな本を読んだりしています。

その中で気づいたことがいくつかあります。

「知らなかったことがたくさんある」ということです。

あまりに衝撃的な津波の映像とその後の報道

原発事故の衝撃

でも、その影に隠れて、ほとんど報道されなかった被災地がたくさんあったのです。

復興の様子についても、進んでいるところは報道されても、まだまだのところは報道されることが少なくなりました。

原発事故に関わることでも、汚染水漏れの問題などは取り上げられても、

その地元で暮らしていた人たちが今どんな暮らしをしているのかが伝えられることは少ないです。

「帰還間近」という報道はされても、除染されているという報道をされても

そこで暮らす人たちが、放射線のことについてどう考えているのかということも私たちは知ることができていません。

そんなこと、すべてに目を向けることは現実的にむずかしいのは分かっていますが、

そんな現実があることから目を背け得て「なかったこと」「終わったこと」のように処理してしまっている今の日本社会に「本当にそれでいいのか」という思いを持ってしまいます。

自分にできることは何なのか、そればかりを考えてしまいます。

今日は、被災地の「防潮堤」を見てもらいます。

0V5A0037_20140826073750649.jpg
(仙台空港の横にある海岸からの写真です。ここも津波被害のひどかった場所です。当時最初の津波映像が報道された場所ではなかったでしょうか)

0V5A0030.jpg
(宮城県の津波被害も大きく、まだまだ復興のための工事は続いているようです。防潮堤もきれいになり、復興事業も進んでいるように見えます。ただ、周辺には更地が目立っていますが・・・)

0V5A0035.jpg
(こんなにきれいな防潮堤ができました。砂浜では若者たちの楽しんでいる姿も見ることができました)

0V5A0027.jpg
(防潮堤の横には、このような看板で新しい防潮堤の構造の説明も書かれていました)

0V5A0038.jpg
(一部このような残骸も残っていましたが、復旧のための工事が続けられ、復興に向けて動き始めていることが分かります)

0V5A9916_20140826073855334.jpg
(ここは、南相馬市の海岸です。福島県とひとくくりにできないという話をしましたが、福島県でも、原発から離れたところから復旧作業は進められています。しかし、原発に近づくにつれ、状況は変わってきます。ここは原発から約30kmぐらいの地域ですが、防潮堤の復旧はまだまだ先のようで、着工もできていません)

0V5A9917.jpg
(壊れた防潮堤はそのままで、その周辺の「除染」だけは完了したようです)

0V5A9921_201408260738502cf.jpg
(向こうに見えるのは火力発電所です。この発電所も壊滅的な被害を受けましたが、今はもう動いています。「必要なもの」はいち早く復旧するのです)

0V5A9923_201408260738518ee.jpg
(この付近はかつて砂浜があり、海水浴場にでもなっていたのでしょうか。かつての施設が残されていました)

0V5A9924.jpg
(あれから3年半、いまだに瓦礫は完全に処理されてはいません)

原発事故によって、住民の皆さんは「自分では何もできない」「いつどうなるのか見えない」という状況に置かれています。
元に戻れず、前にも進めず、「今」もない・・・そんな現在を必死に生きておられる・・・そのことを忘れてはいけないと思うのです。
フクシマ1
先日、福島に行ってきました。
今回で3回目になります。昨年の夏と年末、そして今回です。

福島第一原子力発電所の事故後の処理がまったく進まない中で、地元の人たちがいったいどうされているのか
報道では「復興」「がんばろう」ということばが飛び交う中で、福島の報道があまり見られない

大阪に住んでいる自分たちにもできることはあるはずだと、数人の仲間と共に、一緒に行く仲間を募って福島に行ったのが去年のことでした。

で、いってみて感じたのが「3年前のあの日から止まったまま」の現地の姿でした。

「継続的にできることを続けていかないと」という思いを持ったのも去年のことでした。

行く度に、いろんなことが見えてきて「なんで!」「どうすれば?」という思いに駆られます。

ただ、福島に行ったときに出会った学校の先生のことば
「福島のことを正確に伝えてください」「大阪に避難している人もたくさんいます。そのような人たちを支えてください」「正しい放射線の知識を持ち広げてください」そして「福島ですすめていく取り組みへの支援をお願いします」
をどうすれば実行できるのか、そのことを考えながら、毎日を送るようになりました。

ですから、ほんの少しの今年かできませんが、今回福島に行ってきて、見て感じたことをちょっとでもお伝えしようと思います。

まず「福島に行く」ということをこれからは考える必要があります。
福島県といってもとても広い県です。広い意味では福島県中が原発事故によって影響を受けているし、放射性物質の汚染を受けました。しかし、その被害の大きさは地域によって違います。今回原発事故にしても、津波にしても、地震そのものにしても影響を大きく受けたのは太平洋岸の「浜通り」という地域です。とうぜん、原発に近いところほど被害は大きかったのですが、風向きによって、原発から北西の方角に高線量の地域が広がっています。
ですから、この地域と、それ以外の地域(会津など)では感じ方が違います。

春頃に「美味しんぼ」で大きな問題になりましたが、この時も「福島県」全体として話をしてしまうと「もう何ともない」という声の方が大きくなります。なんといっても200万人ほどいる県民のうち、避難生活をしている人は13万人だけ(も)なんですから。

今回も私たちは南相馬市に行きました。ここを中心に「飯舘」「浪江」などの地域に足を運んだわけです。

残念ながら、今回も「復興が始まった」とはいえないというのが印象です。

今回最初にいったのは飯舘村です。
飯舘村に行っていちばん感じたのは「除染作業が年末より盛んに行われている」ということです
人が住めるようにするには「除染」は必要です。でも、除染が住めば本当に住めるようになるのでしょうか?

0V5A9827.jpg
(飯舘村の除染作業中の様子)

0V5A9813.jpg
(除染は終了している飯舘村役場前の線量計 0.5は決して低い値ではないと思いますが・・・)

0V5A9819_20140822121740334.jpg
(飯舘村の山に囲まれた地域の草の中で線量をはかると9.99を越えました。この機械では測定不能でした。これは危険なレベルです。このレベルの草や土をはがして袋に詰めておくのが除染です)

0V5A9826_201408221217416ec.jpg
(草の中は9.99を越えても、空中では2.38になります。)

0V5A9821.jpg
(舗装された道路上でも2.2です。ただ、この数値でもかなり高い数値で、日常生活を送ることができる数値ではありません。ちなみに自然界に通常ある数値は0.04程度といわれています)

0V5A9830_20140822121907f16.jpg
(そんな中の除染作業です。作業員さんの健康も気になります)

0V5A9835.jpg
(除染できているのは一部であり、周りはまだまだこの状態、飯舘村のたくさんの山はいったいどうするのでしょうか)

0V5A9861_20140822121904025.jpg
(ここは、南相馬市のある小学校。すでに廃校が決まったそうです)

0V5A9846.jpg
(津波の被害に遭い、生徒数が急激に減少したため、廃校が決定したそうです。時計は津波が来た時間で止まっています)

0V5A9850.jpg
(校舎内をのぞいてみると、片付けられた机などが並べられていました)

0V5A9872.jpg
(でも教室にはあの日のまま残されたものがたくさんありました。壁に残された線が、津波の被害を物語っています)

0V5A9866_20140822121948d83.jpg
(今回目についたのがこのソーラーパネルです。やはり「発電」について原子力には頼れないという意識が高まっているのでしょうか)

続く

大垣のひまわり畑3
大垣のひまわり畑は今回が最後になります。

夏に咲く花はどれも大きく、一つ一つに存在感があります。ひとつひとつに主役になるだけの力があります。

これが夏の花の特徴です。

ひまわりはその中でもいちばんの存在感です。

一輪の花でも主役を十分に張る力を持っているのです。

でも、今回は、そのひまわりに脇役にまわってもらいました。

主役は50歳を迎えた新幹線です。

東海道新幹線が開業してまもなく50年。私が1歳の時に開業しました。

当時は東京大阪間を4時間以上かけて走り抜けました。それまでの半分程度で移動できるようになったのです。
何ともすごいことだったのだと思います。

それから50年が経ち、いろんな技術が発展して、今は2時間半で東京と大阪をつないでしまいます。

驚くべき進歩です。

(次回からは数回福島の特集をしようと思っていますが)福島まで乗り換えして大阪から5時間かからないのです。
(ナント自動車では12時間ほどかかりました)

技術の発展はものすごい・・・そう思いながら、撮り鉄になりきって今回は新幹線の流し撮りに挑戦です。(鉄道は元々好きなもので・・・)
ただ、技術は発展しているけど、それを使う人間がそれだけ成長しているのだろうか・・・そんなことも考えてしまった1日でした。

0V5A9617.jpg


0V5A9743.jpg


0V5A9775.jpg


0V5A9760_20140820173635a7f.jpg


0V5A9773.jpg


次回は福島でのボランティア報告をします。
3度目の福島で見てきたこと感じたことをちょっとでも多くの人に伝えなければならない
そんなことを至る所で感じてきました。
うまく伝えられないと思いますが、そんな思いを書きたいと思いますので、是非ご覧ください。よろしくお願いします。
大垣のひまわり畑3
今回のひまわり畑は・・

ひまわりよりもその向こう側にあるものを主役にしてみました。

このひまわり畑の向こう側にあるのは新幹線の線路です。

そのため、ここのひまわり畑で撮影している「カメラマン」の多くは新幹線狙いでした。

そこで、私もちょっと撮り鉄になった気分で撮影しました。

なかなかむずかしいものです。

とりあえず、数打ちゃ当たるという感じの撮影でしたが、あまり撮ることのない電車の写真をご覧ください。



0V5A9657.jpg


0V5A9683.jpg


0V5A9621.jpg


0V5A9671.jpg


0V5A9678.jpg



大垣のひまわり畑2
大垣のひまわり畑その2です。

今回は・・・ひまわりといえば・・・9階の多重撮影をまたまたやってしまいました。

これをどう感じるか・・・・きっと「普通の撮り方の方がいい」と思われるでしょうね。

ひまわりをちょっと絵画風に撮ってみたという感じでしょうか

まあ、こんな撮り方もできるということです。
(もうちょっとうまく写せるといいのですが・・・まだ修行中ですのでお許しを)


0V5A9611_20140814115804a4a.jpg


0V5A9615.jpg
(手前の花がじゃまだったなあ・・・)

0V5A9710.jpg


0V5A9712.jpg



復活!
7月の末から福島へボランティアにいって・・・などとしているうちに気がついたら2週間も放置しておりました。

遊びって、手を抜き出すとずっと手を抜いてしまうものなんですね。

そういえば、7月なんかはほとんど写真の撮影をしておりませんでした。

忙しいといいながらも、やっぱり趣味はまじめにやらないと・・・と反省しております。


これから、秋に向かいますので、どんどん撮影していきたいと思います。。。

ということで、今日はひまわりの写真です。

岐阜県の大垣で撮ってきたひまわりです。

今日のところは「普通」にひまわりだけを撮った写真です。

0V5A9610.jpg


0V5A9612.jpg


0V5A9616.jpg






上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。